政府は、ガソリン代への補助などのインフレ対策を積極的にしながら、もう片方では、依然「デフレからの脱却」を目指すべきとしている。日本では、「デフレ」という言葉が、「低成長」をも意味してしまっていて、議論が混乱している。本来、物価の継続的な下落である「デフレーション」と「低成長」とは峻別した上で、「インフレ」「低成長」それぞれに対して、誰がどのような政策を担うのが適切かを整理していくべきである。(ソーシャル・コモンズ代表 竹本治)
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最近は物価が上がっていることを実感する。昨年4月、「うまい棒」が1979年の発売以来初めて値上げしたこと(1本10円→12円)が大変な話題になったが(※個人の感想です。※効果・効能には個人差があります)、色々なモノやサービスで値上げが相次いでいる。政府は、庶民の生活を直撃しているインフレの悪影響を緩和しようと、様々な対策を講じてきており、例えば、「燃料油価格激変緩和対策事業」の一つとして行ってきたガソリン代への補助は、年末まで延長することを9月に決定したばかりである。
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一方、8月末には、「年次経済財政報告」(経済財政白書)が発表された。そこでは、「デフレからの脱却を実現・・・させていくことが重要」といった表現がみられる。この発表に関する報道をみても、「脱デフレはサービス価格が鍵、さらなる上昇必要」(ロイター)、「脱デフレには『至っていない』とし、生産性を高めて賃上げを持続させる必要性を訴えた。」(日経新聞)としていた。
ちょっと待ってほしい。今の日本はインフレなのか、デフレなのか。
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「デフレ」というのは、デフレーション、すなわち、物価が下落することである。OECDやIMF、内閣府では、「一般的な物価の継続的な下落」とか、「2年以上続けて一般物価が下落すること」としている。したがって、「インフレーションが発生していて、同時にデフレーションとなっている」ということは、論理的には起こりえない。
この問題は、「デフレ」という言葉が、日本では「低い経済成長率」の代名詞ともなっているところにある。また、「デフレ脱却」という用語は、単に「『物価の下落』がなくなること」を示すのにとどまらず、「再びそうした状況に戻る見込みがなくなること」といった非常に幅の広い概念として使われている。これも、インフレ・デフレの議論を混乱させている。政府が「インフレ対策」を一所懸命しながら、今だに「脱デフレを目指す」といっているゆえんである。
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もう20年も前になるが、日銀ワシントン事務所長時代に、英語圏の有識者と議論した際に、「日本には、『デフレーション(deflation)』とは別に、物価の下落よりも、むしろ『低成長』の方に力点が置かれている『デフレ(DE-FU-RE)』という言葉があって、政策や世論が混乱している」ということを説明して、大変驚かれたことが一度ならずある。令和の今でも、日本ではそういう議論がされがちであるように思う。
1999年以降には、消費者物価指数が若干マイナスとなる、デフレーションが10年以上続いた。特に、2000年代には、そのような物価下落が経済活動の縮小を招き、どんどん経済が収縮するという「デフレ・スパイラル」が発生する可能性さえも生まれた。
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しかし、ここ10年を振り返れば、そうした状態からは確実に遠ざかった。つまり、日本は随分前から「デフレ」ではなくなっている。そして、ここ1~2年はむしろ「インフレ」局面に入っているのである。それなのに、今でも政府や世間が「デフレからの脱却が大事」といっているのは、物価の下落という状態ではなくて、低成長経済という状態から脱することを目指しているからである(むろん、低成長から脱却することを目指すこと自体は、否定されるものではない)。
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日銀は、バブル崩壊以降、「デフレを何とかしろ」「金融緩和が足りないからだ!」という大合唱に囲まれ、七転八倒しながら、ゼロ金利政策や異次元緩和など非伝統的な金融政策を捻りだしてきた。しかし、それさえも、実は同床異夢であったように思う。日銀は物価の番人として、一義的には「デフレーション」をなんとかしようとしていたはずである。なのに、世間からは「低成長からの脱却」を金融政策で実現することを求められていた。
そんな日銀も、今や「物価2%が安定的に実現するまで」、「賃金上昇との好循環が実現することを見極める」といったレトリックを使いながら、実態として「低成長からの脱却」の役割を引き受けようとしてしまっている。一方、「インフレ対策」の方は、もっぱら政府が行っている。本来の役割は逆であるはずである。
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「デフレ」という用語の使い方が、わが国独特のものとなっていることは、今さら変えようがないのかもしれない。しかし、「デフレーション」と「低成長」とは峻別すべきである。その上で、足許の「インフレ」と、長きに亘る「低成長」それぞれに対して、誰がどのような政策を担っていくのが適切なのか、交通整理が改めて必要である。