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国籍と水際措置(コラム#005)

海外からの留学生が、水際対策の強化で入国できなくなっている。足許の「感染拡大防止策」の良し悪しを評価することは、本当に難しい。しかし、少なくとも「国籍」によって入国の可否を区別することが、感染対策上、本当に合理性があるのかどうか、冷静に考える必要がある。(ソーシャル・コモンズ代表 竹本治)

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 先日、ある大学院で、留学生に対して講義する機会をいただいた。人口減少と高齢化に直面する日本の様々な悩みと対応を紹介したが、興味深く聞いていただけた。学生は、アフリカ諸国(ガーナ、ウガンダ、ザンビア)から来られた行政官出身の方が中心であった。自分も30年前には、同じように公共政策を学びに米国の大学院に留学したので、そのときのことを色々懐かしく思い出した。若かりし頃の留学経験は、その後の人生を大変豊かにしてくれたが、今回、次の世代の留学生に講義をすることで、その「恩返し」が多少なりともできて大変うれしい。


 一方、新型コロナについては、オミクロン株が世界的に大流行してきている。日本政府は、水際措置を再び強化し、留学生を含む外国人の入国を11月末から実質的にシャットアウトした。今回、聴講してくれた留学生の半数は、今回の新たな措置が発動される直前のぎりぎりのタイミングで入国できた人たちであった。この措置は少なくとも年始までは延長されるため、今月入国しようと準備していたほかの留学生たちが日本で学生生活を始められるのは、まだまだ先となると聞いている。


 本件は、本当に悩ましい。水際対策をきちんとすることは、新たな感染拡大を防ぐ意味では、一定程度有効であろう。


 政府は「日本人」については、自宅待機等の隔離策をとることで帰国を認めている。この点については、一時扱いに混乱がみられたが、邦人保護の観点からは帰国を認めること自体は当然ではある。


 一方、入国をしようとしている人が「どこに滞在していたか」は、「コロナ感染をしているかどうか」の確率に影響しているとしても、「どの国民・国籍であるか」は本来関係ないはずである。そうした中にあって、「日本国籍であるかどうか」によって、入国の可否を区別することは、感染対策上、本当に合理性があるのだろうか。もっと科学的・合理的な方策がないのか、冷静に考える必要がある。

 

 我々は、コロナ対策で、日常生活ばかりでなく、海外諸国との経済・文化面でのやりとりでも、大きなものを失っている。鎖国状態の中で、今や少数派となってしまっている留学生は、我々にとって貴重な存在である。彼らが、日本で実り多い生活を過ごし、学生や住民と意義深い交流をしていただくことを願うばかりである。


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