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私見:金融政策の出来ること、出来ないこと(コラム#016 )

日本経済の一番の問題は潜在成長率の低下である。日本銀行は、バブル崩壊後、ゼロ金利政策などの非伝統的な金融緩和策を一所懸命やってきたが、金融政策は、車でいえばブレーキにあたるもので、エンジンやアクセルではない。金融緩和だけで潜在成長率自体を引き上げることはできないことは、もっと早い段階から国民に広く理解されるべきであった。今こそ、覚悟を決めて、官民挙げて日本の真の再生に向けて大胆に社会を改革していくしかない。(ソーシャル・コモンズ代表 竹本)


 インフレが約40年振りに家計を直撃している。円安も急速に進み、秋には約24年振りに為替介入を実施したというニュースもあった。また、来春には10年間つとめた黒田総裁の任期も満了を迎える。最近は、自分の古巣の日本銀行関連の話題には事欠かない。


 しかし、日本銀行がどんな仕事をしているか、実は、よく知られていないのではないか。政治家や学者を含めてである。そのため、国民は日銀や金融政策というものに過度に期待してしまい、それが近年の日本経済の処方箋をゆがめてきたように思う。少し長くなるが、長年日銀に勤めていたOBとして、素朴な感想を書かせていただく。

 まず、「日銀の仕事」である。金融政策ばかりが話題になりがちであるが、日銀は様々な業務を担っている。教科書的な説明からはやや離れるが、自分は「皆さんの手許にあるお金が、今日も明日も安心して使えるようにすること」を目指して仕事をしていると考えている。日銀の職員はそんな思いを持ちながら、日々大変地味な業務を一所懸命している。


 具体的には、(1)お札が本物できれい(銀行券の安定的な流通)、(2)人から人へ資金が無事にわたる(決済システムの安定)、(3)お金の価値が変わらない(物価の安定)、(4)銀行に預金しても、なくなる心配はない(金融システムの安定)、という4つの分野に関連した業務を幅広く行っている。


 お金がいつでも安心して使える環境さえ整っていれば、社会や経済は安定するし、その社会が本来持っている力(潜在成長率)に沿った成長がしやすくなるはずである。そうした環境を整えて安心な世の中にするのが、黒子である日銀の仕事である。逆に、日銀が注目されてしまうというのは、世の中が不安になっていることの表れなので、本来の日銀の役割からみれば決して褒められたことではない。

 次に「金融政策」である。日銀は、企業や銀行などから色々教えてもらいながら、経済情勢について普段からくまなく調べている。そして、それに基づいて景気や物価の見通しを作っていて、短期金利の目標水準(=「政策金利」)を上げ下げすることで、世の中の経済活動に働きかけて先々の物価を安定させようとしている。こうした一連の対応を金融政策と呼んでいる。


 銀行の貸出金利や預金金利、あるいは国債発行の金利など、国内のあらゆる短期・長期の金利水準は、この短期金利の水準に大きく影響される。こうしたことから、日銀が政策金利をどの水準にするかが注目されるのである。


 詳細な説明は省くが、ここでいう「短期金利」というのは、銀行同士がお金を短期間貸し借りするときの金利のことなので、短期の資金(すぐに使える資金)が銀行界に潤沢にあれば金利水準は下がりやすい。バブル崩壊以降は、日銀は、国債などを銀行から積極的に買って、代わりに銀行が必要としている短期の資金を沢山渡したりすることで短期金利が十分低い水準になるようにずっと調節してきている。

 ところで、金融政策というものは、車でいえばブレーキにあたるもので、エンジンやアクセルではない。ブレーキを緩めることで、経済活動は若干勢いを増すかもしれない。しかし、それだけで潜在成長率自体を引き上げることはできないのである。日銀が出来ることは、経済が実力を発揮しやすいような環境にするところまでである。


 ここ数十年の日本経済を振り返ると、潜在成長率は随分下がってしまった。かつてのような高い経済成長を全く実現できていないのは、それが主因である。異例の金融緩和をして一所懸命ブレーキを緩めたところで、それだけでは、エンジンの弱った経済が本当の意味で再生したりはしない。この点、世の中の多くの人は、金融緩和というものに過剰な期待をずっとしてきているように思う。

 なお、「デフレ」というのは、本来はデフレーション(deflation、物価下落)の略語である。しかし、日本では「景気のぱっとしない状態」の意味で使われがちである。そして、世間が「デフレからの早期脱却が大事!」というときには――物価の方も下落気味であったことから、話はややこしいのだが――本音では「景気の持ち直し」「高い成長率の実現」に力点を置いて議論をしている。


 かつては、好景気はインフレと同時に起こっていたので、「物価が上がりさえすれば、景気も元気になる」と期待してしまうのは分からなくはない。


 とはいえ、「デフレ」の意味を曖昧にしたままに、「『デフレ脱却』を目指すのだから、積極的に対応すべきなのは『物価の番人』である日銀だ!」「日銀の金融緩和が足りないのがいけない!」といった論調が強まってしまったのは、大変残念である。


 「ゼロ金利政策」など、所謂「非伝統的な金融政策」については、政策の名前は知られているかもしれない。しかし、政策の内容は、広く世間に理解はされていないと思う。

日銀は、バブル崩壊後の数年間で政策金利を殆どゼロにまで下げたが、それでも経済に力強さは戻らなかったので、それ以降20年以上に亘って――七転八倒しながら――それまでの常識では考えられなかったような方法で一段の金融緩和をしてきている。


 具体的には、(1)まずは、政策金利を思い切ってゼロにした(ゼロ金利政策:1999年)。また、(2)銀行が使いやすい短期の資金を潤沢に提供しようと、銀行が日銀に預けている当座預金(日銀当座預金)の残高を相当増やした(量的緩和策:2001年)、(3)その見合いに、国債等を銀行から大量に購入してきているが、これによって、これまでは政策目標としてこなかった長期金利の水準もかなり下げた。さらに、(4)そうした新たな緩和措置を「2%の物価上昇率が実現するまで続けます!」といった宣言までしている。

 黒田総裁就任後、日銀が10年近く行っている「量的・質的緩和」(2013年)――その後の「マイナス金利政策」(2016年)や「イールドカーブ・コントロール政策」(2016年)を含む――は、そうした一連の対応を極端なかたちで推し進めたものである。例えば、(1)短期金利を、若干ながら「ゼロ以下」にまで下げ、(2)日銀当座預金残高を激しく増やし、(3)国債も莫大に購入して、長期金利を一層下げてきている。まさに「異次元緩和」という俗称の通り、これまでと比べてみてもかなり極端なことをしてきている。


 こうした非伝統的な政策は、経済の下支えや金融市場の安定化には、それなりには貢献した。しかし、前述の通り、日本の本当の問題は潜在経済成長率が低下していることなので、ブレーキをこれまで以上に一所懸命緩めたところで、それだけで経済が活発にならないのは、ある意味で当然である。

(出所:日本銀行データより筆者作成)



 異次元緩和の功績というのは、非常に皮肉であるが、「日銀が(短期資金の)量さえ増やせば、日本は元気になるはずだ!」「日銀が緩和をサボっているのがいけない!」といった根拠のない日銀批判がさすがに聞かれなくなったことである。所謂リフレ派の人たちも、最近は大変大人しい。


 しかし、日銀に期待できなくなったら、今度は、新型コロナ対策という名の下で、財政出動を一層極端に行うことが常態化してきている。政治家も国民も無駄な財政支出をすることに麻痺してしまっていて、大変まずいことになっているように思う。


 アベノミクスの「三本の矢」では、金融政策や財政政策で時間を稼いでいるうちに、成長戦略を軌道にのせるはずであった。異次元緩和頼みで、構造改革をこの10年怠ってしまったのは大変残念である。今こそ、覚悟を決めて、官民挙げて日本の真の再生に向け大胆に社会を改革していくしかない。




 最後に「インフレ」についてであるが、物価は、モノやサービスの需給で概ね決まる。そして、需要が旺盛なときにはインフレになりやすい。こうしたタイプのインフレは高度成長期にはよくみられたが、この場合には、需要にブレーキを掛ける伝統的な金融引締めが有効であった。


 一方、最近顕著にみられている物価上昇は、需要の旺盛さではなくて、供給側の減少やコストの上昇が主因となって起こっている。戦争などで生産や物流が停滞していることに加え、パンデミックで一旦労働市場から退出した労働者が戻ってきていないことなどが、複合的に影響していると考えられる。


 こうした供給側を原因とするインフレへの対処は、本当に悩ましい。インフレ退治をしようと金融引締めをしてしまうと、経済成長へのダメージが大きくなってしまうのである。欧米諸国は、それでも金利を急いで引き上げているが、経済の力の弱い日本で中央銀行がやれることは限られている。今のところインフレが欧米ほど酷くないのはせめての救いである。




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