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米国雑感~四都市を訪問して(コラム#022)

 久し振りに全米各地を訪問したが、公共交通機関の機能不全、人種的・民族的な対立の強まりなど、米国の持つ社会課題を改めて実感した。こうした課題を克服するためには、関係者が諦めることなく、積極的に声を挙げながら協働していくことが重要であるが、それは日本においても同様である。(ソーシャル・コモンズ代表 竹本治)


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 今月は二週間ほどかけて、四つの米国の都市――ワシントンDC、ボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルス――を巡った。都合30人ほど、幼少時・留学時代・駐在時代等、人生の色々な機会に出会った友人・知人と旧交を温め、ゆっくり語り合うことが出来て本当に感慨深い。点描にしかならないが、久し振りに彼の地を訪れた際に見聞きした感想をいくつか述べてみたい。



 まず、キャッシュレス化の進展である。今更驚くことではないが、たった2ドル程度の買い物でもクレジットカードで決済することが当たり前になっている。コイン・パーキングの一部、サンフランシスコの中華街の零細小売店では、現金決済のみ、あるいは、一定の金額以上でないとクレジットカード決済は受け付けなかったが、チェーン店はもちろんのこと、電車の切符購入まで、殆どの決済はキャッシュレスが基本となっていた。一方、米国人でも、他の地方からの旅行者や地元の高齢者が決済方法に結構戸惑っていたのが印象的であった。



 また、公共交通機関が発達していない点を一層憂える声が強く聞かれた。米国は昔から車社会であるが、新型コロナを機に在宅勤務が広がっても、渋滞はひどくなる一方とのことである。通勤時間ばかりでなく、ガソリン代も直近では相当上がっているので、経済的にも一段と引き合わない状況になっている。

 友人の平均年齢が上がってきていることもあろうが、(その親世代にあたる)80代・90代の高齢者でも、自ら運転しないと買い物一つ行けないという点で、公共交通機関が発達していないことは深刻な社会問題となっている、との嘆きが多く聞かれた。なお、都市部ではタクシーは殆ど席巻され、UBERが主たる「公共の足」となったことで、移動の利便性ははるかに高まっていたが、地方ではこれが解決策にはならないので、車社会を前提とした日々の暮らし方について懸念が強まっているようである。

 そして、社会の分断の進展である。米国は、文化的バックグランドの大きく異なる人々が暮らしているため、日本よりも圧倒的に多様な社会であり、対立や摩擦が強く起こることは、ある意味不可避な社会である。ただ、一定以上の教育を受けた層では、分断を煽ることは「はしたないこと」とされ、これまで政治的には一定の歯止めはあった。

 しかし、前大統領の登場で「本音で語ってもいいんだ」という風潮が強まってしまい、経済的な問題と絡み合って、各地でかなり酷いものとなっている。カリフォルニアにおいてさえも、コロナ禍でアジア系米国人への差別感情が噴出したことは記憶に新しい。


 米国の友人の多くは、リベラルな考え方を持った層であることもあるが、昨今の政治の党派的な動きの強まり、社会における文化的・民族的な対立の深刻化に辟易しており、「民主主義国家では、日本が一番うまくいっている」という声さえもしばしば聞かれたぐらいである。

 こうした中で、大学の卒業式に参列する機会を得た。学内外の関係者の祝辞の中では、こうした米国(ないし世界全体の)厳しい現実を乗り越えて、なんとか理想の社会を目指していこう、若い世代は、積極的に声を挙げながら協働していってほしい、というメッセージが強く聞かれたのが印象的であった。

 リベラルな教育の場である大学で、こうした発言が多く聞かれるのは当然ではある。とはいえ、公共政策に直接携わる面々ばかりでなく、ビジネス、研究開発等々色々な分野へと巣立っていく卒業生も含めて、若い人々がこうした思いを持ち続けていけば、社会は少しずつでも改善していく可能性がある。

 日本も米国に負けず劣らず、多くの社会課題を抱えている。一方、国のありかたとしては条件的に恵まれているところもある。

 色々な問題を改善していくことを諦めてしまうのではなく、問題意識を身近な人々と共有し、協力しながら、少しずつでも変えていくことが大事だと、帰国の途につきながら改めて感じた次第である。


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